川崎市耐火建築助成公社(独立外郭団体)の時代
安定成長期~バブル崩壊
- 人口の増加
- 都市の拡大とスプロール化
1972(昭和47)年4月に川崎市が政令市になり、翌年の1973(昭和48)年6月に川崎市耐火建築助成公社の組織を一新することで、外郭団体として独立し、電公ビル4階に事務所を開設しました。
これを受けて、民間の建築設計事務所に勤務していた4名を含む実務経験のある建築技術職員をプロパーとして雇用することで業務を拡大し、新たに民間ビル建設資金融資事業を開始しました。この事業は、当公社が金融機関から融資を受けて民間オーナーのビルを建設してオーナーに分譲するとともに、ビル購入資金を当公社が融資するスキームになっており、ビル建設にあたっては、オーナーのニーズに合わせて当公社自らが設計を行うか、または、外部の設計事務所に設計を委託し、設計完了後は入札等によって工事を発注して現場監理を行い、併せて、融資手続きを進め、完成後は貸付金の償還業務を行うという業務の流れになっていました。
この間、時代は高度成長期から安定成長期に移行し、さらにバブル経済期に向かっていましたが、川崎市は首都圏のベッドタウンとして人口の増加が続き、郊外に向けて市街化が進むとともに市街地の建築物の更新も進む、建築物も増え続けてあり、こうした新築の建築物を良質な耐火ビルに誘導するために、当公社の民間ビル建設資金融資事業は大きな役割を果たしました。また、川崎市耐火建築助成公社設立当初から行っていた民間耐火ビル設計監理技術支援業務も引き続き継続し、川崎市耐火建築助成公社(独立外郭団体)として事業を行った約20年間に161件(うち設計監理業務支援13件、民間ビル建設資金融資148件)の耐火建築ビルの供給を行うなど、この時代における市街地の不燃化に貢献しました。
一方、市の人口も1973(昭和48)年に100万人を突破し、その後も増加続けたため、区役所、支所等の公共施設が増える中で、市の財政負担の平準化が求められていたことから、新たに公共施設建設受託事業を開始しました。この事業は、当公社が金融機関から融資を受けて公共施設を建設し、一定期間、市に賃借した後、市の予算が確保された時点で市に売却するスキームになっており、市の財政負担を平準化できることから、この事業を使うことによって、市は単年度の予算に縛られずに、公共施設を前倒しして建設することが可能になりました。こうした中、1982(昭和57)年7月に行政区の再編に伴う分区により麻生区と宮前区が誕生したため、この2区における、新たな区役所及び区の関連施設の建設が急務となったことから、当公社がこれらの公共施設の建設を一手に受託するなど、川崎市耐火建築助成公社(独立外郭団体)として事業を行った約20年間に24件の建設受託を行い、この時代に集中した公共施設の整備に大きく貢献しました。
主な事業
- 民間耐火ビル設計監理技術支援業務
- 耐民間ビル建設資金融資事業
- 公共施設建設受託事業